沿革

元々「中島家」昔は(中嶋)は奥州探題「大崎氏」の家臣であった。大崎氏滅亡で家臣はバラバラとなったが、中島太左衛門は帰農し、地域の「大肝入」として地域経済を担っていたという。地域の進取の気性は末代に代議士 中島鵬六や初代町長 中島金也らを生んだ。
23代目であり酒造業としては初代の文治が呉服大物問屋「中嶋屋」から転身。
家紋は「五三の桐」で屋号は「ヤマリ」。主要銘柄は桐政宗で、ほか秋の世、笑顔、鳴瀬川。戦前の2代まで合資会社中勇商店。
2代目勇治は粕取焼酎を和釜で蒸留していたという。
3代目の信一郎の時代は昭和16年。2代目当主勇治は42歳で急逝し、当時信一郎は16歳だったため戦争にも突入、やむなく休業した。信一郎は未成年ながら合資会社中勇商店の代表社員となり、酒小売の傍ら、最中菓子の皮焼き製造や冷菓製造を手掛けた。昭和17年頃、休業のためやむなく福島のD酒造に転籍した蔵人の伊藤は中勇が初めての蔵働きで、その他生酛造りを経験していた。
D酒造に入った伊藤はその後、大杜氏となり現代の名工となる直前、他界された。
その経緯を伝記として綴った鳥取県の箕浦淳一先生著「ひとり旅」がきっかけで、68年後の2011年、蔵元同志の会見が実現したことはまさに歴史的奇跡である。

1957年(昭和32年)
中勇蔵は3代目信一郎の「夢」である酒造業復活を、信二郎・信三の弟と共に遂げる。
1975年(昭和50年)
鳴瀬川の吟醸原酒「夢幻」新発売。
以後35年のベストセラーシリーズとしてアイテムを増やしてゆく。
現在は90%が特定名称。
1995年(平成7年)
11月 3代目信一郎逝去で4代目信也就任。
1997年(平成9年)
天上夢幻会 設立
2009年(平成20年)
12月 (株)田中酒造店と業務提携し67年ぶりの「生酛造り」復活を果たす。
2010年(平成21年)
4月 銘伝会みやぎ本部設立(夢幻・真鶴・全国蔵元と酒販店ほか連合)
2010年(平成22年)
11月 リキュール製造免許下付(農商工連帯事業)
2011年(平成23年)
3月 和リキュール 夢幻のしずく「みを」ゆず梅酒500ml[澪1号] 新発売。
全国新酒鑑評会
金賞 5回
宮城県知事賞
4回

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